エホバの証人(現役→自然消滅?)ですが、何か!?


by what-tower

カテゴリ:われわれはどこから来たのか。( 5 )

こんにちは。

PodCast公開予定だった、
元JW2世のヒプノセラピスト、
麻乃さん×What-Towerの対談ですが、
テキストでの公開となりました。

PodCastをやめたことに特に深い意味はなく、
収録場所での環境音が、無視できないレベルでして(ノ∀`;)

ひらたく言うと、
録音失敗した ってことです(汗)


でもでも!文章で書き起こしたところ、
素晴らしい読み応えのある内容になりました!

PDFファイルでの配布です。
たくさんの方に読んでいただけたら嬉しいです。

※下記をクリックでダウンロード画面に移ります※

リンク切れしていた期間がありました。
ダウンロード画面に移れなかった方申し訳ございません。
再度、下記よりダウンロードをお願いします。
もしリンク切れの場合はメールか書き込みいただければ、
再掲載します。お手数おかけします。


  「過去・現在・未来」自分で自分を癒す生き方の秘訣 

ご自身のPCで。
iPadやiPhoneで。
紙に印刷して。

スタイルに合わせて、
ゆっくりじっくり読んでいただけたら嬉しいです。
そして配布自由です。

手前味噌ですが、面白いですよ!
今までにないJWへのアプローチと思っております。

びっくりするような話が次から次へ飛び出しますが、
そういう話もあるんかな〜と楽しんでもらえたら嬉しいです。
対談の話の内容を、押し付けるつもりはありません。
全ては、死んでから答え合わせしましょうねw


対談にご協力下さった麻乃さん。
校正して下さったPodCastでおなじみのJさん。
イラスト作成にご協力下さったトロさん。
技術協力いただきましたS.T.さん。
本当にありがとうございました☆
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by what-tower | 2010-09-20 01:23 | われわれはどこから来たのか。 | Comments(29)
ヒプノセラピーで自分が見たものは、
自分の脳が作り出した幻覚ではないのか。

退行催眠による前世体験については、
前世療法」「魂の伴侶」などの著書で知られる、
精神科医のブライアン・L・ワイス博士の研究が有名である。

日本では、福島大学経済学部教授の飯田史彦氏が、
生まれ変わりを実証する例や科学的検証・研究を、
生きがいの創造」という本にまとめている。

他にも沢山の研究者が輪廻転生の証拠を集めている。
もともと宗教やスピリチュアルとはほとんど無縁だった人が、
ひょんなことで研究することになったパターンも多い。

そういったものを偏見抜きに調べるにつれ、
これはひょっとするとひょっとして、
魂は何度も肉体を取り替えて生き続けるのかも、
という可能性を否定できなくなっていた。

実際、これほど沢山の、
“生まれ変わり”の実証例があるとは、
JWだった時には知らなかった。


だがそうすると聖書はどうなるのか。

聖書を素直に読んだとき、
「死んだら無になる」
というのが聖書の教えだという主張は、
根拠薄というか、暴論だと薄々感じてはいた。

JWは2,3の聖句を文字通り解釈することで、
「死んだら無になる」の根拠としている。

だがそれらの聖句も、前後の文脈を読むと、
著者は「死んだら無になる」ということが
言いたかったわけではないことがわかる。


それに対して、
死後も生き続ける魂についての描写は、
自分でざっと数えただけで20は軽くあった。
(これについては後日別に詳述します。)

もちろんJWはその全てを、
“比喩表現”で片付けているのだが。


では輪廻転生についてはどうなのか。

輪廻転生に関しては、現在のほとんどのキリスト教派が否定している。

紀元325年、
時のローマ皇帝コンスタンチン大帝は、
その母へレナとともに、聖書中の「輪廻転生」に関する記述を削除。

紀元553年、
コンスタンチノープル第2回宗教会議において、
この削除が正式に認められ、「輪廻転生」は異端となる。

「輪廻転生」の教義があると、
民がいざというとき蜂起しかねない。

また信者に「正しい行動」をさせるためには、
最後の審判という脅しが必要だという、
宗教的・政治的策略があった。

そのため「輪廻転生」は聖書から削除された、
というのが比較宗教学の通説である。


まだまだ探求すべきことは多いと感じた。



さて次はどうしようと思っていた矢先、

「魂の声を探ってくれる人がいる。」

というなんとも怪しげな情報が入った。

特定の宗教団体とは関係なく、
ヨガや瞑想を教える先生がセッションをしてくれる、
ということだったので予約し、行ってみることにした。


場所は、東京都内某所のマンション。

メインの広い部屋がヨガ教室として使われていて、
アロマの香りが漂う中、お金持ちマダムたちが集まっていた。
(ユニクロを着てても洗練された高級服に見える種族↑)

こぢんまりとした部屋に通され、
お会いしたのはごくごく普通の中年の女性だった。


“知りたいことはなんですか?”


「自分の魂の目的を知りたいです。
 自分はどうしてここにいるのか、とか。」



“わかりました。”


そう言うと彼女は左手でボクの手を取り、
もう片方の手にペンを持って、
目をつむった。


手を握ったまま30秒くらい経過した。
彼女は、探るように、ゆっくりと書き始めた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


“あなたの魂の声をお伝えします。


     (中略)


 何度も戦争に参加しています。
 
 日本   ドイツ   中近東

 中国   いくつかの国で

 また  更に  逆のぼって

 宇宙時代(地球以外の星で)

 生命体として  生きた時も

 あわただしい  戦いの中に

 生きたことがあります



 その時々で  それぞれ  使命感を持って

 教育を受け  自分の国を  家族を

 星を  守るために争い

 戦いに参加するという

 気持ちでいました。


 実際に戦場に出たこともあり

 また  武器を製作したり

 作戦を練る側にいたりすることもありました。



 その時々で  真剣であり

 必死に 生きていますが

 本当に  これで  良かったのか? という思いや

 無念の思い  (争いに負けたり  勝っても

 心  満たされなかったり)  が  残っています。



 この  思いが  生まれ変わりの中で

 あなたの  魂のベースに  なっています。


     (中略)


 また  あなたが考え  良かれと思って

 進めることに  強い反対意見を持つ方もいて

 対立したことも  よくありました。

 いろんな考えの人がいるのはわかるが・・・

 どうしても  敵対してしまう

 自分なりに信念を持っていても

 思いが  かなわず

 無念の思いも  残っています。


     (中略)


 以上、あなたの魂から感じたことです。”



――――――――――――――――――――――――――――――――――

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マンションを出た。

とにかく座って考えたかったので、
近くにあったベローチェに入った。

ゾクッとするほどヒプノセラピーの内容と同じだった。

セッションをしてくれた中年の女性は、
ボクのことで知っていることと言えば、
予約時に伝えた名前と携帯番号くらいだ。

もちろんヒプノセラピーの話なぞ、
一切していない。


しかし、よくまぁ戦ってきたこと。

戦いなんていつの時代にもあるし、
ありふれた過去世なのだろう。

そしてやはり『戦いのない人生』の選択は、
ヒプノセラピーの時も今回も共通していた点だ。

「非戦」が自分の魂の今生の悲願、
ということになりそうだ。


・・・それと、
地球に来る前にも他の星で戦っていた!?

 ※セッション後にこれについて質問したところ、
  地球での、武器を使う戦い方とは根本的に違う、
  念波動とかサイキック的な戦い方って感じかな、
  もっと精神戦的な、と説明された。う〜ん。


こんなことを考えていると、
JWが偽りの宗教だと糾弾したり、
相手に自分の思う正義を振りかざして戦うことも、
なんだかバカバカしくなってきた。

てかスケールが違いすぎる。


戦うのは簡単だ。

最初は正面から審理委員会でもなんでも、
戦ってやろうという心意気でいた。

でも。。。

自分でこのブログの過去記事を読み返してみると、
心の変化が文章に表れているなぁと思う。


JW思考から解放されてからの探求が、
まさかこんなマンガチックな展開になるとは。

審理委員会招集頃の記事は、
一部掲示板で「作り話」説が出たが、
これなんかどうします!?w

本当に「事実は小説より奇なり」なのか。

「われわれはどこから来てどこへ行くのか⑤」に続きます。
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by what-tower | 2009-10-27 00:00 | われわれはどこから来たのか。 | Comments(20)
1200年頃のドイツ。

むなしさを感じながらも、
戦い続ける自分。

出て行ってしまった妻。

自分はただじっと、
彼女が出て行くのを見守った。


だいぶ期間が空いてしまいましたが、
「われわれはどこから来てどこへ行くのか②」
の続きです。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

セラピストは、
その人生の先へボクを誘導した。

“では、その後の人生の重要な時期に行って下さい。
 何が見えてきますか?”


「かなりの田舎です。
 景色は綺麗で、畑があり、水辺があります。
 小さな小屋に自分は住んでいます。」


“誰かと一緒ですか?”

「いえ、一人です。」

“自分は何歳くらいですか?”

「50代後半です。」

“そこで何をしているのですか?”

「何をするでもなく、ただ一人で暮らしています。
 もちろん、畑を耕したりはしています。
 誰とも会いません。」


“何を考えていますか?”

「前と同じことです。
 けれども、今はもう人々の争いとは無縁の生活をしていますから、
 平安ではあります。」


“それでは、その人生の最後の時の直前に行きましょう。
 あなたはどこにいますか?”


「同じ小屋の中です。
 ツルや枝を編んだ寝心地の悪いベットに横たわって、
 頭の上の四角い窓から漏れる明かりをただ見ています。
 昼間です。」


“あなたは何歳くらいですか。”

「60代半ばです。」

“では少しして、あなたの体に変化が訪れます。
 それは、死という変化です。
 あなたの魂は肉体を脱ぎ捨て、あなたの体を上から見下ろします。
 この人生は、どんな人生でしたか?何か感想はありますか?”


「戦いはむなしいということを、嫌というほど味わいました。
 また、もっと上手に人を愛したかった、そう思います。
 自分は信念を貫いて、美学を持ってやっていた。
 だからこそ信頼して付いてきてくれる部下もいた。
 けれど、最後は結局一人になり、
 一体、自分の人生はなんだったんだろう、
 そういう虚しさが残りました。」


“ではもっと上に上がって下さい。
 過去の自分と、今の自分を並べて比較することができます。
 どうして、今の自分を選んだのか何か関わりはありますか?”


「この国(日本)は戦いのない国です。
 なので、選びました。
 そのことに非常に満足しています。

 また生活の中でも、
 今度はもっとうまく人と仲良くやっていこうと思っています。

 自分の信念はあれど、
 相手も認めて、折り合いをつけてやればいいのです。
 もっと人を愛したいと思います。」


“過去の自分を見習いたいと思う部分はありますか?”

「過去の自分は、優しい人でもありました。
 ハンセン病などで家族から捨てられ、のたれ死んで行く人を見てから、
 そういう人たちが人間らしい生活をし、人間らしい死を迎えられるように、
 施設を作りました。それなりに権力がありましたから。

 ただ田舎に引っ込んでからは、人と関わっていませんから、
 その施設がその後どうなったかは知りません。
 気がかりではありましたが。」


“そうですか。
 では、今の人生でも、
 ボランティア的なことをしたいということですね。”


「そういうことですね。
 人のためになることを、
 何かしたいと、形にしたいと思います。」


“では、ゆっくりと現在の自分に戻ってきましょうか。”

――――――――――――――――――――――――――――――――――

午前午後をかけたセッションは終わった。

いろんなことの意味が繋がったように思えた。
ありとあらゆることが腑に落ちた。


たとえば、高校の時に柔道の授業があった。
もちろん当時はJWだからということで参加しなかった。
オリンピック柔道日本代表の強化選手歴を持つ先生の、
補習という名の「シゴキ」は流血するほど半端なかったが、
全く苦に思わなかった。

今考えると「エホバが〜」とかは関係なく、
「不戦」そのものにカタルシスを感じていた。


約800年前、自分の元を去って行った妻とは、
今生また再会し、今度は逆にボクが彼女に別れを告げている。
それすらも、お互いの魂の約束だったのだろうか。

もっとも、JWだからこそ出会った彼女だから、
この出会いと別れがバラスを取るための魂の約束であるなら、
今生、JWになるということも織り込み済みだった、
ということになる。


同じ魂が何度も生まれ変わる前世や、
次の人生の生き方を選択するような、
肉体以外の世界があるというのか。


「われわれはどこから来てどこへ行くのか④」
へ続きます。
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by what-tower | 2009-10-11 21:13 | われわれはどこから来たのか。 | Comments(17)
「われわれはどこから来てどこへ行くのか①」の続きです。

何か特定の思想を押し付けたいというわけではないのですが、
ボクが体験したことはひとつのケースになる部分もあるかもしれないと思い、
そのまま書きたいと思います。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


セラピストは、

“では、
 何が出るかはお楽しみ、
 ということでいかがですか?”


そう言ってにっこり笑った。

“「ジャッジする自分」は、
 とりあえず後にして下さいね。
 「ジャッジ」は帰りの電車の中でどうぞ。”


つまりセラピーの間は、
なんでこんなふうに映像がフラッシュするんだろう?
これは自分の脳の作り出した幻覚なのでは?
などと「ジャッジ」することはせずに、
ただ感じるに任せるように、
とのことだった。


ボクはソファーに身を預け、
再び自分の奥の奥へと入っていった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


“何が見えますか?”

「岩場です。
 赤い、赤っぽい土地です。」


“もっと周りを見回してみて下さい。
 どんな風景ですか?”


「木は生えていますが、
 枯れていたり、あまり本数は多くないです。
 荒野といった感じです。」


“そこに立っている自分の、
 まずは足下を見て下さい。
 何か履いていますか?”


「サンダルを履いています。」

“では少し上に上がって、何を着ていますか?
 自分の体を触ってみて下さい。
 どんな様子ですか。”


「甲冑や武具をつけています。」

“腰に武器があるんですか?”

「それもですが、鎧というか、武装しています。」

“自分はどんな顔ですか?”

「待って下さいね。
 今、甲冑を脱ぎます。

 浅黒い日に焼けた感じです。
 髪はやや長め、髭をたくわえています。」


“体格はどうですか?”

「体格はいいです。がっしりしています。」

“男性ですね?”

「そうです、男です。」

“年齢はどれくらいですか?”

「40代です。」

“どのあたり(地域)の人のようですか?”

「ドイツ、今のドイツのあたりですね。」

“何年頃ですか?”

(頭の中に数字が浮かんだが、不思議になる。
 ジャッジしたくなる。)

「・・・」

“分かりませんか?”

「あの、浮かんだ数字があるんですが、、、
 それでいいんでしょうか?」


“はい。それをそのまま言ってみて下さい。”


「1200、、、
 西暦1200年頃です。」


“わかりました。
 西暦1200年頃のドイツですね。
 では、あなたはそこで何をしていますか。”


「景色を眺めています。
 夕日です。」


“どんなことを考えていますか?
 感覚的なことでいいです、言ってみて下さい。”


「むなしさを、感じます。」

“どうしてむなしいのですか?”

「戦いに、むなしさを感じています。
 もちろん、家族や故郷の為に戦っているのですが。。。
 むなしいです。」



“では、そこから先に時間を進めましょう。
 次に何か重要な出来事のあるところに行ってみましょう。

 何が見えますか?”



「馬に乗っています。」


“どこかへ出かけるのですか?”

「はい。戦いに出ています。
 異教徒と戦わなければなりません。」


“戦況はどうですか?”

「五分五分です。膠着状態が続いています。」


“どんな気分ですか?”

「気分は高揚しています。
 戦いに出ている間は、いつも高揚しています。」


“それで、その戦いはどうなりますか?”

「膠着状態にしびれを切らした自分は、
 馬で、先陣を切って突撃していきます。
 部下たちが後からついてきます。」


“勝ちましたか?負けてしまいましたか?”

「勝ちました。」

“戦いの後どうしていますか?”

「街へ帰っていきます。」

“どんな気分ですか?”

「みんなが、褒め讃えてくれます。
 ・・・
 褒め讃えてくれているけれど、
 あまり喜ばしくありません。
 冷めた感じです。」


“どうしてですか?”

「やはり、
 戦いそのものにむなしさを感じているからです。

 自分が敵に切り込んで行った時に、
 倒れた相手の兵士の表情が頭に浮かびます。」


“その後どうしますか?”

「宴があります。
 そして、家に帰ります。」


“家はどんな様子ですか?
 家族はいますか?”


「子供と妻がいます。」

“子供は何人いますか?”

「一人です。
 子供は既に寝ています。

 ベッド脇には明かりが灯っています。
 妻はまだ起きているようですが、
 横になって向こうを向いたままです。」


“奥さんとは会話はしますか?”

「何も話しません。
 妻は、心配の裏返しで、
 何もしゃべらないことを、
 私は分かっています。

 戦いから帰った後はいつもそうなので、
 もう慣れっこです。

 自分としては、
 戦いに行くのは家族を守る為でもあるのだし、
 何も自ら好んで戦いに出て行くわけではない。

 それに自分にも葛藤があるのだということを、
 それも理解してほしい、そう思っています。」


“その後どうしますか?”

「ベッドに入ってそのまま寝ます。」


“では翌朝に時間を進めましょう。
 あなたは目覚めてから何をしますか?”


「バルコニーに出ます。」

“バルコニーで何をしますか?”

「景色を眺め、
 太陽の光を浴びます。
 天気は良いです。」


“何を考えていますか?”

「昨日も戦いの間、
 太陽は同じように輝いていた。
 でも、すごくどんよりしているように感じた。

 今日も、太陽は輝いているが、
 昨日と違ってすごくキラキラして見える。

 同じ太陽なのに。

 そう考えながら、
 昨日とのギャップを噛み締めています。」


“その後、どうしますか?”

「食堂に入り、食事をします。」

“どんな雰囲気ですか。”

「子供は食事をしながら、一人元気にしゃべりまくっています。
 妻は、押し黙ったまま、もくもくと食べています。」


“あなたは何を考えていますか?”

「昨夜と同じことです。
 自分も葛藤しているのだ、と。
 どうして妻は理解してくれないんだ。

 しかも妻には、
 食堂の中で一番良い席に座らせているんですよ。
 普通はその席は、一家の主が座る席です。
 つまり自分が。」


セラピストはクスッと笑った。(ように感じた)

“なぜ、その席を奥さんに?”

「妻を良い席に座らせることで、
 自分はお前を大事にしている、愛している、
 気遣っていることの証にしようと思ったんです。」


“その後、どうしますか?”

「自分は一番先に食べ終わり、
 馬に乗って出かけます。」


“どこに出かけますか?”

「街を見てまわります。
 自分が守っている街です。

 その後、またあの岩場に行きます。」


“岩場で何をしますか?”

「また景色(夕日)を眺めながら、
 生きること・戦うことについて考えます。」



“では、その後のその人生にとって重要な場面に進みましょう。
 何の場面が見えてきましたか?”


「また戦いの場面です。
 馬で、敵陣に切り込んで行きます。」


“どうなりますか?”

「負傷しました。
 長槍で刺されました。
 ちょっとした隙を突かれたんです。」


“どのあたりですか?”

「ここです。」
(左鎖骨より少し上あたりを差す)

※自分でも驚くほど心拍数が上がり、
 今まさに、槍がそこに刺さっているような感覚。

“その後、どうなりますか?”

「死にはしません。
 落馬しますが、すぐに数人の部下が自分を取り囲みます。
 そして、槍で差してきた敵を倒しました。」


“戦いはどうなりましたか?”

「その日は決着らしい決着はついていません。」

“あなたはどうなったのですか?”

「そのまま部下に運ばれ、前線を退きます。
 元々、部下たちからは、もう前線に出ないでくれと頼まれていたのですが、
 自分としては、指揮官として前に立つのが美学だと思っていたのです。」


“どんなことを感じていますか?”

「負傷した時に、そのまま死んでもいいと思っていました。
 迷いがある者は、戦士として、また指揮官として失格だろうし、
 迷いがあるからこそ、隙ができたのだろうと。
 だから、ここで死ぬのも仕方ないかなと。」


“その後も戦い続けたのですか?”

「もう前線には出なくなりました。
 後方から指示を出すだけです。
 ほとんど隠居のようになっていきます。」


“どこに居ますか?”

「普段は、家に居ます。」

“家はどんな様子ですか?”

「一人です。」
(召使いはいる。)

“ご家族はどうしましたか?”

「出て行きました。」

“どんな思いですか。”

「妻が出て行く最後の時も、止めませんでした。
 ただ冷静に、おまえがそれを望むなら出て行けばいいと。
 妻と子を見送りました。
 ちなみに、妻は自分よりかなり年下で若いです。」


“奥さんを探したり、
 会って話したりはしないのですか?”


「しません。
 だいたいどこにいるかは知っています。」


(セラピストには言わなかったが、
 自分は、妻に愛する人がいることを知っている。
 その男性の所に行ったであろうことも。
 自分の権力を持って不貞罪で妻を裁くことも可能だが、
 そうはしなかった。)

「でももう会うことはしません。」


――――――――――――――――――――――――――――――――――


フラッシュのように浮かぶ映像と、
場面場面で心の奥に感じる感情。

どれもがあまりに鮮烈で生々しい体験だった。


このセラピーの後にネットで調べたところ、
確かに1200年頃にドイツ近辺の騎士団が、
いわゆる「異教徒」と戦っている歴史がある。


しかし何よりも驚いたのは、
セラピーの中で登場した、
去って行った「妻」のことだった。

彼女とは今生も巡り合い、
そして別れている。

説明が難しいのだが、
セラピーの間に「妻」の目を覗いた時、
姿は違っても、それが誰か分かった。


JW解約当初、
個人的には「前世」「輪廻」などというものは、
扱うにもバカバカしいことだと思っていた。

ネットで出会ってやり取りした方にも、
実際そのように話をしたことがある。


しかし、
せっかくJWを抜けたのだから、
先入観抜きで様々な本を読み、
なんでも体験してみようと思っていた。

だがそうやって出会う出来事はどれも、
ボクの価値観を正面から崩しにかかってくる。


セラピーの残りの部分は、
「われわれはどこから来てどこへ行くのか③」
に続きます。


※ヒプノセラピーの見え方には個人差があります。
※中には神秘的な体験を売りにして不当に高額なお金を要求する
 “自称”セラピストもいますので、お受けになる場合はご注意下さい。
※きちんとした精神科医や経験豊富なセラピストから受けるヒプノセラピーは、
 心理療法の観点からも高い効果を発揮すると言われています。

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by what-tower | 2009-08-02 23:39 | われわれはどこから来たのか。 | Comments(24)
「わたしは,自分がどこから来たか,
そしてどこへ行こうとしているかを知っているからです。」


                     ―ヨハネ8:14[新世界訳聖書]



自分なりに色々な探求をし続けて出会った出来事を、
「われわれはどこから来てどこへ行くのか。」シリーズとして、
ぼちぼち書いていこうと思います。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


その日は、すごく暑かった。

自分は高円寺のとある建物の涼しい部屋の中で、
ヒプノセラピーを受けるためにセラピストと話をしている。

JWだったことによって、
自分でも気付かないトラウマみたいなものがあるのかどうか、
もしあるとしたら何が出てくるだろうと、興味本位だった。


1時間ほど色々なことを話し、

“そう大きなものはないかもしれなせんが、
 一応、インナーチャイルド・プログラムをやってみましょう。”


ということになった。


深々とソファーに身を預ける。

部屋の中はダウンライトの明りだけになった。

横にはセラピストがいて、
目を閉じたボクに声をかけている。

誘導されながらイメージをしていく。

心象世界の自分は、
暖かい自然のエネルギーが満ちた場所に立った。

“向こうから子供の頃のあなたがやってきます。”

(心の中で)目を上げると、
向こうから、小さな小さな自分がヨタヨタとやってきた。

※「エヴァンゲリオン」というアニメ作品の中で、
 主人公の碇シンジが他の年齢の自分と話をする、
 心象世界の描写がありますが、まさにあんな感じです。

 あれはただの表現としての描写というのではなくて、
 こういうセラピーを受けた時に実際に見るビジョンを
 元にしているんだろうなと思いました。


“何歳ですか?”

「3歳です。」

サスペンダー付きのデニムを着ていた。

“どんな表情をしていますか?”

「・・・無表情です。」

“何か心配なことはないか聞いてみて下さい。”

しゃがみこんで3歳の自分に聞いてみた。
答えが返ってきた。

『パパは仕事で帰ってくるのが遅いんだ。
男はボクだけだから、ママやおうちはボクが守らなきゃいけない。』


 ※後で母に確認してみたところ、
 確かに3歳頃にサスペンダー付デニムを着せていたという。
 (写真は残っていない。)
 また、当時はいつも父の帰宅が午前様だったため、
 『ボクが見てくる!』と言って、家中の戸締りを確認してまわっていたそうだ。


“大人になった自分は、3歳の自分にどんな言葉をかけてあげたいですか。”

「・・・お前もまだ小さな子供なんだから、無理して頑張るなよ。
まだまだ甘えてもいいんだぞって、言いたいです。」


“ではそれを3歳の自分に言ってあげて下さい。
 そして、抱き締めてあげたりしましょうか。”


「甘えてもいいんだよ。」といって抱き締めてあげると、
3歳の自分は、しゃっくりあげながら泣き出した。

気付くと、自分も泣いていた。

セラピストがティッシュで涙を拭ってくれた。

3歳の自分が泣き止んだので、
イメージの世界の素晴らしい自然の中を、
手を繋いでしばし散歩をした。


3歳の自分の気持ちが穏やかになると、
再びセッションが始まった。

今度は、13歳の自分が出てきた。

13歳。
JWのバプテスマを受けた年だ。

“表情はどうですか。”

「あんまり表情はないです。」

“何か気になっていることはありますか、聞いてみて下さい。”

セラピストに言われた通り、
心の中で13歳の自分に尋ねてみる。

『本当はもっとやりたいことがあるんだ。
でも、親や周り(会衆)の人に受け入れられるためには、
模範的でなくちゃいけないし。。。』


この頃の自分は、
JW内でみんなから、
「神童」的な扱いを受けていた時だ。

両親共にJWで、
父親は主催監督。
母親は熱心な開拓者。

個人の聖書通読は毎日欠かさず、
集会のない日は欠かさず夕方の奉仕に出た。
インタビューや実演がいつもまわってきていた。

でも本当の心の中は・・・。

“どんなことを”やりたいのか聞いてみて下さい。”

「やりたいことって、何?」

13歳の自分はしばらく黙っていた。

“今はまだ、特にみつからないかな。これからかな。”

13歳の自分はためらいがちに、

『自転車に乗って遠くに出かけたりとか・・・したい。』

と、ボソッと言った。
思わず笑ってしまった。

そうそう!
13歳でやりたいことっていったら、
これくらいのことだよね。

でもそれが、
すごく大切なことだったりする。

そういえば、
じいちゃんにマウンテンバイクを買ってもらったのが、
12歳の時だった。すごく嬉しかった。

でもその自転車で遠くまで遊びに行った記憶は、
ない。

“大人になった自分は13歳の自分にどんなことを言ってあげたいですか。”

「好きなこと、すればいじゃん。
やりたいこと、やりなよ。
自転車で、どこでも好きな所に行こうよ。」


そう、声をかけてあげた。

“13歳の自分は、どんな表情ですか。”

「笑顔です。笑顔になりました。」

出てきたインナーチャイルドは、
それで全部だった。

“では、大人になったあなたと、3歳のあなた、13歳のあなた、
3人で手を繋いで輪になって、太陽の光をいっぱい浴びましょうか。”


イメージの世界の、
キラキラ輝く太陽の下で、
ボクらはたっぷりと光を浴びた。



セッションが終わり、
何だか分からないけれども、
心がすっきりした気がした。

そのままソファーに埋もれたまま、
しばらくゆっくりとセッションのことを反芻する。

まるで映画の表現手法のように、
脳裏に子供の頃の自分が出てきて、
しかも対話までしてしまった。

“妄想”といえばそれまでだけれど、
果たしてただの“妄想”で心が軽くなったり、
涙したり、爽やかになったりすもんだろうか。
非常に不思議な体験だった。

セラピストがお茶を出しながら、
“どうでしたか?”と聞いてきた。

予定していた時間はまだ残っていた。


“もう少し、昔のことを見てみますか?”


ただの興味本位だったものが、
自分の人生観を180度変えるものが出てくるとは、
その時の自分は思いもしなかった。


[続く]

※ヒプノセラピーには個人差があり、
 ビジョンとして見える人だけではなく、
 臭いや音、その他の五感のどれか又は複数で現れる人など、
 感じ方は人それぞれです。
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by what-tower | 2009-06-16 22:22 | われわれはどこから来たのか。 | Comments(18)