2007年3月1号第1研究記事「エホバへの恐れのうちに、生きることを楽しむ」
2007年 04月 25日
肯定的な意見(「この記事のここがよかったわぁ」等々)は、
集会などのJW内の接触で、耳が腐るほど聞けます。
でも、批判は許されない空気。
批判?いやいや、評価さえ難しい。
だから、
わざわざブログにきてまで、
良いところを見つけ出して褒める意味がわかりませんので、
完全に批評記事のみ書かせていただきます。
(9節)「あなたの舌を悪から、あなたの唇を欺まんを語ることから守れ」。
[中略]
舌を悪から守るとは、有害なうわさを広めたりしないようにという意味になります。むしろ、他の人に話す時にはいつも築き上げることを目指します。そして、勇気をもって真実を語ることに努めるのです。
勇気を持って真実を語る。
イィ響きです。
でも、
たとえば会衆内で、
勇気をもって、
1914年の教理の起点、
「エルサレムの崩壊が607年というのは証拠なし!」
ということを語った場合、
大変なことになりますよねぇ。。。
なんで真実を語った方が、
組織の中で裁かれる!?
間違えることが悪いとは言いません。
大切なのは、その後ですよね。
どうぞこの記事の通り、
統治体の皆様も勇気をもって、
真実を語ることに努めていただきたいものです。
でも、
そういうことはないでしょうね。
この言葉が端的にそのことを表しています。
(塔2007年2月1号P6)
うそはすべて不真実だが、
不真実は必ずしもうそではない
記事の中では唐突にこの言葉が大文字で抜き出されています。
きっと、
明らかな間違いでも、
後で追い詰められてついに逃げられなくなった時、
「いや、うっかりしてました☆」
で、逃げるんだべ。
手の内読めてますからっwww
「エルサレムの崩壊が607年というのは証拠なし!」
ということを語った場合、
大変なことになりますよねぇ。。。
まさにそれで会衆を追い出された私が来ましたよ!(笑)
orz..
え?組織を保護するためですか?最近耳が遠くて・・・www
こちらにも飛び火しそうな話であれば是非拝聴したいものですが。
なるほど。
「出る」ことに関しては、きっと似たような見解だと思います。ボクはまだまだこの件については要研究です。
非公開は2名の方ですが、特に飛び火しそうな内容ではないですのでご安心を(^^)
(ユダ 22) …また,疑いを抱く者たちには引き続き憐れみを示しなさい。
ゴシゴシ(目をこする音)
う~む。
本当だ。(笑)
なんだろう、見えなくさせられてるのかな・・・。